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【薬屋のひとりごと豆知識】舞台となった中国王朝みんな知ってる?メインは遣唐使の時代

李世民 歴史

 みなさんは、薬屋のひとりごとというアニメをご存じですか?

 薬屋のひとりごとは、帝国だった時代の中国風の世界が舞台です。
 あくまでも中国風の世界であって現実世界ではないですが、その中にはかなり中華王朝の特徴が出ています。

 そこで今回は、薬屋のひとりごとのモデルとなっている中華帝国。その歴代国名と覚えておきたい事柄とかを解説していきます。

 受験勉強にも役立ちますし教養にもなるので、アニメに興味がない方にもおすすめの記事になってます。

 そうはいっても、この鬼人P作成者が何者か分からないと信じられませんよね。

 まあ、歴史の専門家というほどではないですが、それなりに勉強はしてきたので任せてください。

 長々と話してしまいましたが、さっそくはじめていきましょう。

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歴代中国王朝一覧

 各王朝の話をする前にそもそも、どんな王朝があったのかを紹介しておきます。

 ここでは、帝国時代のみでなおかつ長続きした国のみを紹介します。

 始皇帝のいた秦やそれ以前の周などは短命だったり王を名乗っていたので含めていません。

 いずれにせよ、秦は始皇帝のことを覚えておけば問題ないですので、この8王朝について語っていきます。

初の安定帝国にして三国志の原因を作った漢帝国

 秦の始皇帝が没して数年が経つと、内部の腐敗と各地の反乱で秦は滅亡しました。

 その後の覇者を巡って楚漢戦争と呼ばれる劉邦と項羽の大戦争が起きて、結果として劉邦が漢を建国しました。

劉邦

 その後は、功臣の一族の力を削ぐなどして国を安定させますが、重臣が強引に皇帝となって一度国が滅びます。

 しかし、その国は春秋戦国時代より前である周の時代を理想としておりとても暮らせる国ではありません。

 そこで、生き残った劉邦の子孫(劉秀)が中華統一を果たして光武帝として再び漢を建国しました。
 この国は、劉邦が建国した前漢と区別するために後漢と呼ばれます。

 しかし、この後漢も宦官(後宮で働く上級役人)や外戚(皇帝の母方の一族)による腐敗や政治闘争で力が弱まり、結果として乱世になって、三国志の時代となりました。

三国志の勝者でありながら短命に終わった晋

 三国志の戦闘は、曹操が打ち立てた魏を重臣の司馬一族が乗っ取って作った晋が勝利して中華統一を果たします。

 この国は、司馬一族の力が強すぎるあまりに、各地に送られた領主(王)たちや妃などが国を乱して八王の乱などの大反乱などをきっかけに辱退化して、すぐに乱世に戻ってしまいます。

 この乱世を三国志の時代から総称して魏晋南北朝時代と言います。

乱世を終わらせて中華帝国の礎を築いた隋

 ここからは、小学校でも出てくる隋以降の王朝です。
 今までの王朝が分からなくても、ここから先の王朝のことは覚えてくださいね。

 まずは隋ですが、ここで覚えておきたいのが煬帝。

 聞いたことある方もいるのでは?

 彼は、小野妹子で知られる遣隋使の時の皇帝です。
 しかし、彼の行った大運河建設や朝鮮(高句麗遠征)は隋を苦しめて、結果としてホロ部すことになりました。

 煬帝のせいで短命で終わってしまった隋に関する情報は少ないのですが、隋が残した功績はとても大きかったのです。

 それが、律令制度の基礎を作ったこと。それと大運河を作ったこと。

 これによって、法律による統治が進み皇帝の能力に関わらずある程度国家が機能するようになりました。
 それに、大運河によって海運が活発になったり回文っが発達しました。

薬屋のひとりごとのモデル?唐

 隋の次に成立した国が唐です。

李世民

 様々な王朝をモデルにしている「薬屋のひとりごと」ですがメインとなるモデルは唐だと思われます。

 その理由として大きいのが上級妃の呼び名。

 貴妃と言えば世界三大美女の楊貴妃があげられますが、楊貴妃は唐の時代にいた上級妃です。

 また他の上級妃の呼び名(賢妃や徳妃など)は上の画像の人物——太宗李世民の呼吸にいた妃の呼び名らしいです。

モンゴル帝国のせいであまり目立たない帝国——宋

 塔が滅んだ後に成立したのが宋です。

 ただ、この国はモンゴルや女真族などの異民族の影響を受けてとういつこっかとしてはたんめいでした。

 しかし、モンゴル帝国に長い間抵抗して元寇(蒙古襲来)に影響を与えたことなどの功績があります。

 また、平清盛が行った貿易の相手国としても有名です。

モンゴル皇帝のお膝元——元

 厳密にはモンゴルに最高意思決定機関がありますが、皇帝は基本的に中国にいます。

 この元で注意したいのは建国者について。

チンギスハンとフビライハン

 モンゴル帝国を作ったのはチンギスハン(画像左)ですが、元を建国したのはフビライハン(画像右)です。
 学生時代にこの間違いをする人が多かったので注意しましょう。

 このモンゴル帝国ですが、重臣や一族の結束が緩く、曹操に分裂して各地に国ができましたが、すぐに滅んでいきました。
 元もその例外ではありませんでした。

 滅亡した理由として、古来よりの中国の伝統や政治体制へ踏み込んで変えてしまったことがあります。
 また、大軍勢を2回日本に送って両方で大敗したことも滅亡を早めることになりました。

 そのせいで、各地の反抗勢力の結束が行われて、結果的にモンゴル勢力が中国から排除されてしまいました。

最後の漢民族の王朝——明

 元の王朝衰退や各地の有力さとの戦争に勝利した洪武帝によって建国されたのが明です。

 同じころには朝鮮も独立して王国が建国されます。

 この国は、中国の大半の民族である漢民族が治める最後の帝国になります。

 皓の時代になって、中国で一世一元の制が行われて、皇帝の名前と元号が一致するようになります。

 しかし、この国も政治腐敗や秀吉の朝鮮出兵の援軍などの影響で弱体化。
 ついには女真族の侵攻と内乱によって滅亡してしまいました。

最後の中華帝国にして最大の清

 中国最後の王朝が清です。

 清は、北の満州にいた女真族(満州族)のヌルハチを祖とする一族が治めていた国です。

 この時代になってくると、武器屋兵器が新しくなったり新制度が確立して国が強化されます。そのため、全盛期に乾隆帝や雍正帝の時代には領土が過去最大になっています。

 新疆ウイグル自治区や台湾は、この時に中国の一部となっています。

 この国が滅んだ理由としては、古い考えを変えることができなかったから。
 日清戦争の大敗の段階でほぼ滅亡は決まりましたが、ど王にか踏ん張っていました。しかし、革命の波には逆らえずに滅亡。

 その後は、日本帝国の庇護を受けていたラストエンペラー溥儀が帝国軍の大陸部門(関東軍)の意向で女真族の故郷である満州で皇帝に即位。
 短命ではありましたが帝国を建国しました。

まとめ

 以上で中国王朝についても豆知識は終わります。

 今回は必要最低限の内容に絞っての解説でいたが、好評でしたら中国史についてテーマごとに解説していこうかと考えています。
 なので、拡散などして皆さん観てください。

 このブログでは、アニメ情報を主に発信しています。

 最後まで読んでくれたありがとうございました。
 よろしければ他の記事の読んでください。

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